第一期塾生最終レポート

鈴木鉄平 河野晴信 ルンドクヴィスト ニーナ 二宮裕一郎 大森槇人


鈴木鉄平

1.はじめに

本塾に参画をし、年齢も職業も様々な塾生と毎回意見を交わしてきたことで、以前には全く知識もなかった「日本のこころ」の特長について学ぶことができた。「神道」、「習合」、「畳語」など色々なキーワードがあったが、日本のこころの最大の良いところは「曖昧であること」=「相手に対する寛容さや心の広さ」=「調和」ではないかと感じた。日本のこころの良さをどのようにして残していくのか、若い人材に教えていくことができるのかについて考えてみたい。

 

2.日本のこころ文化継承への課題

日本のこころを残し、継承していく上での大きな課題は以下2点であると考える。

(1)日本人がもっと日本のことを知る必要がある。

 自分自身もそうだが、日本のことを知らなければ若い人材に継承していくこともできなければ、周囲にも発信をしていくことはできない。

(2)幼少期の頃からの教育が必要。

 社会人になってからの学び直しもあるが、長期的な文化の継承という視点で考えると幼少期からの擦り込み、教育が必要であると考える。

 

3.人材育成、教育への取組みについて

課題に対して自らが取り組んでいけることは何があるかを考え、大きく分けて以下の2分野において一歩ずつ変革の取り組みを行っていきたい。

(1)社内人材育成

 管理職として新入社員の教育も担っているが、名刺交換や席次(上座・下座など)等のビジネスマナーや実務的な部分しか教えられていない現状がある。今後は以下2点の視野を取込み、日本のこころも持ちつつ自らの頭で考え抜ける自立した人材になることを目指す。

 ①世のため、人のためという「調和」をキーとした理念を持つ。

  利益最重要視ではなく、日本型文化を意識して考動する。

 ②人間として正しいと思ったことであれば堂々と主張をしていく。

  全てオブラートに包むのではなく、必要な事項は意見を伝えられる文化を醸成する。

(2)親としての学びと教育

 子供と一緒に日本のことを学ぶことで、自らが良さを発信できるようにしていく。次に挙げる事項をキーポイントとして楽しみながら取り組んでいきたい。

  ①四季を楽しむ。

  日本特有の四季を感じるイベントを通じて、情緒や感性を磨いていく。

  ②アニメを活用する。

  文字ではなく感性、直感に訴える手法を活用していきたい。

 

4.おわりに

日々の生活、業務において「日本のこころ」を意識し考動をすることで、自らの成長にも繋げていきたい。


河野晴信

①自啓共創塾に何を求めて参加したか

企業における人事活動や交流活動を通して、なぜ面接に来る学生はこうも働くことに関して消極的な人間が多いのか、戦前戦後世代の当社創業者の祖父や社員の仕事への積極性がなぜ高いのか、興味を抱き、様々な勉強会を通じて日本が終戦から精神面において完全に立ち直れていない事実に気づきます。中でも「自分に誇り」を抱けないしくみになっている「教育」は変える必要があると思い、主に教育に関する学びを深めるために当塾に参加しました。

 

②塾を通して、現段階の私は「日本のこころ」をどうとらえたか

縄文時代からの長い歴史、世界最長である国家の歴史など「時間」という縦糸でつながった「日本」における様々な事象(善悪問わない)やそこに生きた人たちの生き様を振り返って、各個人が自分もそれらのつながりに連なるよう行動したいと思うそれぞれの「こころ」の集まりが「日本のこころ」ではないか、と現段階で思いました。

 

③心に留まった話題(1)「日本人」の感性は「日本語」で育つという説

副教材第12章にある「日本語」は「英語」と異なり、言語脳(左脳)で処理され、「日本独特の感性」が育まれる、というのは非常に注目すべきことだと思いました。世間では幼少期からそれはそれは高価な英語教育の教材が充実しており、英語が堪能な国際的に適した人間が理論上では増えているはずです。にも関わらず、日本の英語スキルは世界的にみてレベルが低かったり、経済は海外勢にやりこめられて低調のままだったりといまいちぱっとしません。ですが、この話を聞いたときに「ああ、やっぱりそもそもズレていたんだな」と思いました。人間の10歳の年齢に至るまでは「感性」が育つための大切な時期で(脳科学的に”爬虫類脳”哺乳類脳”の動物的ステージ)、そこを台無しにするような教育がはびこっていたら、現在のような日本になってしまうのは当然だな、と感じた次第です。

 

④心に留まった話題(2)「大和言葉」

同じく、「大和言葉」も要注目だと感じました。「日本綜學」を提唱する林秀臣氏から、副教材第12章にもあります、「あ」「い」「う」「え」「お」の自然発生音に意味がある他に、それぞれの「口の形」もその意味とつながっているという話をきいて感動してしまいました。

「あ」→「え」→「い」→「お」→「う」の順で口の開き方が小さくなり、「あ」は開けた、開放的な言葉が多く(明るい、朝、天(アマ))、「う」は閉じる、閉鎖的な言葉が多い(うつむく、鬱、うずくまる)といったことや、ひらがなすべてがそれぞれ一音で意味を成しているという原始的言語(発声?)を元とする「大和言葉」の存在は必ず次世代に繋いでいかなけばならない大切なものの一つだと深く噛み締めました。

⑤日本の歴史・言葉を断絶させている「WGIP」による、「自虐史観」からの脱却

 

陰謀論扱いされがちなGHQによる「WGIP」ですが、アメリカの公文書に記載されていることから事実であり、この悪意に満ちた歴史的転換点を無視したままだと縄文時代から現代まで続く日本の流れが一貫したものでなくなり、そこから生まれる「日本のこころ」を不完全なものにしてしまうと思います。また同じタイミングで「常用漢字」が導入され、「大和言葉」と「漢字」を結び付けた先代の英知やそれを誇りに思う機会が失われていることも忘れてはいけないと思います。例えば「気」は「氣」。「お米とそこから沸き立つ蒸気」を表し、「米」が日本人にとって建国当時からの自然災害に立ち向かう結束力、心体を健全なものに保つ原動力であったことからその漢字を「大和言葉」の「き(きあい・きもち)」に当てはめた発想があったのではと考えると胸が熱くなってしまいました。(※個人の所見です。)

 

⑥私が取り組みたいこと

悲観的に聞こえるかもしれませんが、「日本のこころ」に満ち溢れた優しい世界は我々が生きている間には訪れないと思っています。昭和天皇は終戦後、日本の再建には300年かかると仰せられたので私も現在の日本の状況を見て、同じくらいの時を要すると考えます。しかし、そんな中決して腐ることなく、私が取り組んでみたいことは本来の日本人が持ち得ていた「日本のこころ」の基礎となる日本独特の「感性」「思考能力」をもった次世代の育成に注力といった、自分の人生よりさらに先を見据えた活動になりそうです。

他にも、子どもたちの育成には「教育」以外に、親の愛情にあふれた環境を整えることも重要なので、親の精神安堵のためにも「政治」「経済」「食」といった、私自身これまでの関わってこなかったジャンルに学びの手を伸ばすなど、それこそリベラルアーツ的な視点で見識を深めていこうと思います。「政治」も現状の「教育」を変えるためにはどうしても必要な通り道となりました。特に「教育」に関する政策を掲げた新しい政党「参政党」が今月12月から本格始動とのことなので注目しつつ、良い政党のようなので必要があれば助力したいと思っています。そもそも政治に関して議論することが和を乱すといった考えや、雇用条件にも制限があるなど政治的におかしいと思える点が数多く放置されていると文を書きながら思いました。

 

⑦最後に

国境を越えた様々な世代の方や、専門知識を持たれた講師陣との交流のきっかけを創ってくださいました自啓共創塾関係者の皆様に深く御礼を申し上げます。また議論を一緒にさせて頂きました塾生の皆様方に対しましても、貴重な意見を聞かせてもらった他、若輩ものの私の意見も親身に聞いて頂きまして感謝申し上げます。振り返れば塾への参加は皆勤でした。楽しく、有意義な時間をどうもありがとうございました。


ルンドクヴィスト ニーナ

 私は、対立する二つの考えがあるときに、その二つの間にある中間地点に解決策を見出すことが多い。それは自分の多文化な生い立ちや過去の経験の影響が大きいと思っていたが、日本は古来から神仏儒が互いに受け入れ合い、入り交ざった価値観を成していることを本塾で学び、日本の価値観が自分のものの考え方に影響している部分も大きいのだと感じた。

 私がもしスウェーデンと日本をそれぞれどんな国か三つの言葉で説明するとすると、日本を表す言葉は気遣い、忠実、努力だと思う。一方でスウェーデンを説明する言葉は、民主主義、平等、ほどほどの三つだ。スウェーデンの特徴は「主義」であるものが多いのに対し、日本に関しては人の在り方を説明する言葉だ。 これまで、日本に主義がないように見えるのは欠点だと考えていたし、それ故この不透明で低成長な時代に日本が飛躍できていないと考えていた。きっとそれは一理あるかもしれないが、もしかすると自分も日本も、対立する主義や理想がぶつかるときにその間でバランスを図ることのできる存在なのかもしれない。そしてそのとき、日本らしさとしての「気遣い」「忠実」「努力」が活きるのかもしれない。

 多くの人が信じる強い価値観や主義は、宗教と同じくらい力のあるものだと思う。たとえばスウェーデンでは女性と男性が限りなく平等に近い状態であることが絶対的な理想と考えられる傾向にあり、またその分野で自分たちが最も進んでいるという自負があることから、そのほかの価値観や意見が受け入れられ理解されることが難しいように思う。それほど強い信念があることは素晴らしいことであると同時に、見落としてしまう側面があるのも事実だ。

 私たちは、著しいテクノロジーの発達や気候変動などの中を生き、これまで当たり前と思われていた民主主義や資本主義という「主義」も大きく揺れ動く時代にある。そのような激動の世の中において、様々な思想や主義がぶつかり合い、またSNSに助長されて世論の分断と二極化が進んでいる。私は、その分断や対極化をオープンな対話によって少しでも平和で前向きなものとしたいと考える。それができるのが、もしかすると日本であり自分なのかもしれないと考えた。

 私が自啓共創塾に参加したのは、自分自身のルーツや価値観を見つめ直すためであった。スウェーデンに移った今、周りと比較して際立つ自分の特徴が以前とはまた異なっており、そのようなタイミングで改めて他の多くの方々と共に「日本らしさ」や「日本のこころ」を捉え直す良い機会になると考えた。日本という大きな単位で国がどうなるべきかと語るのは難しいけれど、自分を日本と重ねることで自分という小さな単位でどうしたいかは考えることができ、それが日本に通ずるものがあるかもしれない。

 これからスウェーデンで暮らす中で、外に居るからこそ見えることを発信し共有していきたいと考える。異なる価値観や考えの間に立ち、「気遣い」「忠実」「努力」を忘れずに対話をしていきたい。


二宮裕一郎

一七条憲法を教訓に「和の精神」を大事にした生き方を

 

聖徳太子が制定した十七条憲法は、千年以上経過した現代においても新鮮に感じ、私自身の心に強く響きました。上下関係や礼儀の大切さ、秩序の重視、治世の清廉さや公平さなど、その条文に盛り込まれた言葉や思想は、人間一人ひとりの生き方の規範として実に深く、豊かなものでした。特に第一条で強調する「和」の精神は、大転換期の今、そして多様な社会で生きる中、互いの違いを理解し、受け容れ、調和していく、大切にしたい行動理念ではないかと感じました。

 

しかし私自身、家庭内や親子交えての対話や議論をすることが極めて少なく、特に子どもの意見には耳を傾けず、和の精神とは程遠い状況です。そういった状況を打破するためにもまずはより身近な家族から自由に話し合い、互いを尊重し合う場を作り、その一環として、家族と十七条憲法を読むことからまずは始めていきたいと思います。日頃、参加している勉強会や今回の自啓共創塾でも声に出して読む朗読が大切だと学びました。朗読を続けることで少しでも自然と行動できるようになることを期待したいです。そして家族から職場へと広げ、第一条の「和を以って貴しと爲し忤ふこと無きを宗と爲す」、十七条の「夫れ事は獨り斷むべからず必ず衆と與に論ふべし」を特に意識しながら日々の社会生活に取り組んで行きたいと思います。

 

今回の自啓共創塾で学び、もうひとつ実践したいと思ったことに「発信」があります。SNSの普及により世界中のあらゆる人々とつながっていくであろう今後、しっかりとした価値観とアイデンティティを持ち、語ることができるリーダーが望まれているといいます。私も少しでも近づけるように、発信すべき内容の充実と語れる習慣を身につける訓練を日々していきたいと思います。そのためには講義の中である先生がおっしゃっていた「自身の仕事を常に日本そして社会の課題と結びつけて考え、文章として書いてみる。そして文字化することで、茫漠とした思いが論理的に整理される」という行動を少しずつでも実践していきたいです。

 

日本のこころ、そして日本国の成り立ちの原点ともいえる十七条憲法。この十七条憲法を行動理念に、「和の精神」と「利他の精神」を大切にしてこれからの社会に貢献していける日本人になっていきたいと思います。


大森槇人

世界に向けて日本のこころを伝え、存在感を高めるには積極的な発信が欠かせない。今後の世界はネット、AIなどの進化、そして更に新しい技術やツールの誕生で、世界中の人々との距離は縮まり、今まで交流を持つ事の無かった、難しかった様々な国、文化、人種、言語の人々との交流が確実に増えると考えるに足る技術の進歩がここ数年で押し寄せて来ている。特にこのコロナ禍でオンライン=バーチャルでもかなりのコミュニケーションが取れる事が認知され、浸透した事はコロナ禍という困難の中でのポジティブな面として評価出来ると思う。

 

そんな新たな次元での世界の人々との交流手段が急速に広まる中で、日本のこころ、日本らしさ、日本の良さを発信していく事は日本人としては重要であり、また世界の人々がそれらを知る事は新たな視点、気付き、閃きの素となる可能性を秘めており、日本のこころについて積極的な発言、発信が継続的になされる事を切に願う。

 

ただし日本のこころを考える時にも言える事であるが、何事にも表裏があり、表裏二面を常に隔たらず考え、世界に向け発信する事が重要であり、良い面、悪い面どちらからも学ぶ事が人々への新たな気付きとなるはずである。

 

日本のこころの芯となる良い面としては、自啓共創塾で多くの意見が交わされたように様々な面があるが、ひとつ特筆した点として挙げるとすると、やはり日本独特の他社・他方からの考えを独自に取り込み反芻して、融合・進化させる思考を強く持ち合わせている点である。宗教、文化、言語、技術などを取込み融合させる考え方、柔軟性は独特であり、この思考性は今も世界で絶えず起きている宗教、人種などの違いに起因する争いを根本的に変える可能性も秘めている。

 

一方、沈黙を美徳と捉える古来の日本的な考え方は改めるべき点と考える。 村や組織での集団の輪、まとまりを安定させることを是としてきた歴史から自らの考えを押し殺す風潮は、日本の社会ではまだ抜けきっておらず、この点は改めていく必要があり、日本のこころを世界へ発信していくには自らの考え、想いを積極的に伝え、広めていく事が欠かせない。

 

自分も積極的に発言、発信が得意な人間ではないが、この点を変えていく事を意識し、身近な日本らしい考えや思いを発信していく事が、世界の中での日本の存在感を高め、日本のこころを伝える事が出来る事だと考える。