依田晴菜 山脇千稔 N S 鈴木勝博
依田晴菜
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若者に馴染みが少ない歌舞伎を工夫して親しみやすくしていきたいです。
山脇千稔
1.「日本型リベラルアーツ」についての理解
自啓共創塾での学習や対話を通じて、「日本型リベラルアーツ」とは、八百万の神(not唯一神)、習合(優れた要素を融合)、和・一円観(相互尊重・相互理解)といった日本の多元主義的思想に基づいて、事象を把握・理解し、課題を解決していく技法と捉えた。
むやみに対立を生むのではなく、相互尊重・相互尊重の上で対話を重ねて、よりよい(お互いが活きる)解決策を探求する志向・技術と理解した。
弁証法(正・反・合)と類似とも思われるが、日本型リベラルアーツは単なる論理ではなく、その根底には、自然崇敬(神道的要素)、他者との調和(仏教的要素)、礼節(儒教、武士道的要素)といった精神性・美意識に裏打ちされ、こうした精神性が判断・決断の軸・拠り所になるものと考えた。
2.実現すべき世の中・そのための日本のこころの貢献
現代世界は、移動技術・通信技術の発展により、メッセージ(文字・声・映像)が瞬時に届く、移動も高速化、攻撃手段さえも。人間の活動に比して地球が相対的に狭くなったとも言える。また、人間の活動の活性化に伴って時代の変化は加速化している(VUCAの時代)。
この状況は、地球の日本化(島国化)とも捉えられ、狭い日本で環境変化(四季・災害)に対応しつつ人々が平穏に共存するための知恵として形成されてきた「日本のこころ」が機能しうると考える。
このことから、世界のグローバルリーダーをはじめ多くの人々に日本型リベラルアーツを共通の知恵として実践してもらうことにより、地球規模で調和と発展を両立する社会を実現することが望まれる。そのためには、日本型リベラルアーツについて発信することが必要と考える。
ただ、世界に向けて発信する際には、他者・他文化への敬意が疎かになると理解は得られないし、「日本のこころ」にも沿わない言動となってしまうことを危惧する。
「日本文化は優れている」(劣後する文化があることを想起させる)や「日本文化は世界一」といった発信は控えるべきと考える。「日本型リベラルアーツ」についても「日本から発信するグローバル・リベラルアーツ」といった呼称の方が理解を得られやすいのではないかと考える。
3.自分がこれから取り組むこと
自分の現在の立ち位置から世界に向けた「日本型リベラルアーツ」の発信はリアリティを欠いて感じられる。このことはより志が強く、将来が開けた人物に期待したい。
現実的に、ひとりの「日本のこころ」を持っている(と思いたい)人間としてできることとして、次のことを心がけていきたい。
① 仕事上、私生活上で判断・決断する際に、自分の中の「日本のこころ」と照らし合わせること。
② 日本の文化をよりよく知ろうとすること。「日本のこころ」とのつながりに思いを巡らせること。
③ 他者尊重、相互理解、許容の姿勢をもつこと。他国の文化や背景についても知ろうとすること。
④ こうした姿勢を周囲の人に示し続けること。
N S
歴史上、戦争のなかった時代は長くない。戦争のない世界があればよいと思う。そのような世界になることが現実的かどうかはわからないが、みんながそれを希求する価値観は共有できないかと考える。
意見の相違は必ず生じるため、調整が整わないことは起こる。自己の権利等を侵害されて防衛手段としての争いも発生する。様々な状況で、常に世界には凸凹が生じ、それを解消する動きはある。自己の主張を通せないことには、自己が認識できていない何かがあるからだ、と解決手段として、戦争という点に達する前に、立ち止まることができないかと考えている。
そのときに、「日本のこころ」が世界に貢献できるひとつのものかもしれないと思う。
本塾で学んできたなかで、「日本のこころ」とは何かを考えるときに、一番象徴的であると考えたのは、神仏儒の習合である。多くの日本人が、特定の宗教を持たない無宗教であると考えていること、これが日本人のもつ世界観の基礎になっていると感じた。無宗教であると考えつつも、その根底には共通した感覚が流れており、それが神仏儒の習合であろう。
神道には、人間にはどうすることもできない自然環境に対する畏敬の念がある。人間は自然と対峙するものではなく、その一部であり、自然は合理的な理解や解釈の対象ではないと考えている。人間がすべてを掌握することはできないという姿勢が、他の宗教の存在を包摂する、神仏儒の習合の土台になったのではないか。
このことは、ほかにも日本語は、その特徴として、状況認識が先で、自己認識が後であることを学んだが、これも、人間がすべてを掌握できないという姿勢が影響しているようにも感じられる。
このような謙虚ともいえる姿勢が「日本のこころ」が発露しているひとつの例だと思う。
この「日本のこころ」の価値観が広がることで、戦争のない世界の実現に近づくのではないかと思う。
では、「日本のこころ」の理解を広げるために私ができることとは何か。
「日本のこころ」を形作る様々な要素を、自分自身でもっと深く理解しないといけないと痛感している。この理解こそがリベラルアーツの修得であると思う。多面的な視点、大局観をつけ、深く自分の源流と、世界から見た日本の価値に自覚的になりたい。そして様々な人との対話の中で、まわりに刺激を与えられる存在になれれば、戦争のない世界へほんの少しだが前進できるのだと思う。
鈴木勝博
産業革命以降、規模の経済の追求と資本主義の拡大がグローバル化し、世界中で工業・商業・都市化が急速に発展してきた。特に近年の都市部に限っては先進国と新興国を比較しても優劣をつけがたいほどである。
ものづくりはその世界の成長をけん引してきた業界の一つである。人類はものを開発しものに満たされていくことを、自分たちが豊かになることとした。その裏でものづくり業界は常にグローバルなコスト競争にさらされて、改善による改善を重ねてコストダウンにしのぎを削ってきた。しかし昨今、自分が身を投じているものづくり業界の行く末に不安を覚える。非常にビジネスライクに傾きすぎて、ついには品質よりコストを重要視する風潮がみられる。価格と要求品質の乖離が激しすぎて、ものづくりの魂を持って赤字を覚悟するか、ポリシーは捨て去って品質を妥協するかの選択を迫られる。このような状況でものづくり業界がプライドを持ってものづくりに励むことは難しいと感じる。
私は今の極端な株主資本主義から、いち早く公益資本主義へと社会全体の価値観が変わらなければならないと思う。確かに自動化・DX化・AI化の社会実装が進めばロボットだけでものづくりできる可能性も高まるが、すべて完全に人の手を加えないようにするには技術的に困難で、お金もかかり、妥協点も数多く出てくるだろう。そして残された人の仕事は超難易度の高いものばかりとなる。日本ではいずれの業種においても大半が中小企業以下の規模だ。大手ばかりがいくらDX化を進めても中小企業で進まなければ産業の衰退は避けられない。大手・中小・個人という枠組みを超えて、業界や日本全体でどのようにものづくりを成り立たせていくか考えなければならない。そしてその議論に利他主義や調和のこころが無ければ、話はいっこうにまとまらないであろう。
私の会社は金型をつくっている。そして金型の修理・改造・メンテが得意である。この技術を活かすことで多くの金型をリユースすることができる。私は今後の脱炭素社会への対応策として、この技術を積極的に展開していこうと考えている。「とにかく高品質な新品を安く早くつくれ」という世界感から脱却して、直して使えるものは再利用し品質は調整しながら高めていく方針で行きたい。また私は今の時代はもう精神論は通用しないと考えていたが、この塾の学びを通じて日本のこころがやはり日本のものづくりの精神にも生きていると再確認した。そのため国籍を問わず、もっと積極的に日本の精神について会社のスタッフと対話していきたいと思うようになった。「ものには魂が宿る」という言葉があるが、私もそのような精神やプライドを失いたくないと思っている。そして世界中の数多くの製造業者がビジネスライクではなく、職人魂のこもった仕事をして欲しいと願っている。